vol.3
『一圧入魂』で『ものづくり』への挑戦 × トライメイド
インタビュアー:森蓉子
2022.1.28
栃木県都賀町の魅力を、住んでいる人から伝えるヨモココ。
第3回目は、チーム一丸となったモノづくりを目指すプレス加工の老舗である、有限会社 トライメイド代表、岩下浩之様です。
今回は岩下様の熱いご要望により、社員の皆さんにもスポットを当てました。
- 森
こちらの工場を始めたきっかけを教えていただけますか?
- 岩下社長
21歳の時に起業しました。
1985年から1998年までは個人事業として『岩下プレス』という名前で経営しておりました。場所は栃木市の河合町という栃木駅のすぐ目の前でした。
私が16歳、高校2年生のときに父が脳梗塞で倒れまして、その時私はまだ学生だったので、事業は休業させていただいていました。
その頃は、他にやりたいことがあったので、家の仕事は継がないというスタンスでずっといました。
ですから全く会社を継ぐという意思はありませんでした。
それがある時、会社の備品や機械を処分しようとなったんですね。
父親は脳梗塞の後遺症で体が不自由になり、仕事に復帰できなかったのですが、話すことは出来ましたので、倒れてからそのままだった工場を片付けてくれと言う訳ですね。
作業場をそのままにしておいてもしょうがないんじゃないかということで。
しかし、そのままただ同然で処分しちゃうのはもったいないなと思いまして。
だったらその設備を利用して起業してみようとなったんです。
だから私一応二代目なんですけど、1.5代目みたいなかんじなんですよね。父親から仕事を直接指導されたということは、悲しいけど無いんです。
『岩下プレス』から『トライメイド』へ
- 森
のっけから凄い話ですね…
子供の頃はお父様のやってらっしゃるこの仕事をどう見ていたんですか?
- 岩下社長
私と専務(実弟の斤也さん)は子供の頃から、工場へ出入りしていました。
父親と母親は工場で仕事をしていましたので、学校から帰ってくると子供でも出来る仕事を手伝うことはありました。例えば製品とカスが混ざってしまっているのを分けるような、簡単な仕事が結構ありましたから。
その時この(隣の工場から聞こえてくる)、プレスの独特な機械音がありますよね。当時このプレスの音が耳に体に染み付いていましたし、教わっていなくても『プレスとはこういうものなんだ』というのがある程度分かっていました。
だから、動かした時の音で、なんとなく操作が出来たんです。
それと子供の頃は父が作業しているのをずっと見てましたしね。- 森
見よう見まねでってことですか?!
でも初めてこんな大きい機械を動かすのは、ちょっと勇気が要りそうですが、どうやって動かし方を覚えていったのでしょうか。- 岩下社長
父に直接は教わってはいないですけど、起業しようと決めてからは、父の取引先の会社に仕事を勉強しに行って覚えました。他にも父の同業者のところに行って、全く同じような仕事を覚えて、分けていただいて仕事を始めることが出来ました。
そう考えると、父の人望に助けられた部分もあるのかもしれませんね。
- 森
専務も最初から参加されているんでしょうか?
- 岩下社長
私が起業してから3ヶ月後に入ってきました。高校卒業して就職が決まっていたんですけど、『もう手伝え』と言って無理やり引き込んだんです(笑
そこで(河合町)で5~6年やった後に平成4年に現在の場所に移転しました。
以前の場所は用途地域上、住居地域だったのですが、父の頃には無かった条例ができてしまい、動力(電気)を一旦止めてしまうともうその場所では動かせない事になっていました。父の母、つまり私のおばあちゃんが気丈な方で、休業している2年間の動力用の電気代、基本料金2~3,000円だと思うのですが、それを2年間ずっとポケットマネーで払ってくれていたんです。
会社は継がないと言っていた私が、『よしやろう』となった決め手の一つにもなりました。
恐らく、おばあちゃんからしたら父が再開するのを望んでいたんだと思いますよ。
しかし父親は後遺症で仕事が出来ませんでしたから、私が代わりにそこで仕事を始めるようになったんです。
そして平成10年に従業員も増えてきたこともあり、『岩下プレス』から法人名『トライメイド』として新たにスタートしました。
チームトライメイド
- 森
凄いドラマチックな話です。トライメイドという社名の由来を教えていただけますか。
- 岩下社長
『トライメイド』という名前の由来は、ものづくりの挑戦ということで、友人との雑談の中から、トライメイドってどう?とでてきた言葉で、ものづくりと挑戦を合わせた言葉です。ラグビーでいうとトライで得点になるじゃないですか。だから仕事でいうとラグビーのように『点になる』イコール『報酬』になるみたいな意味もあります。
また、やるぞうくんというマスコットがいます。プレスって圧力をかけながら成形したり、モノを打ち抜いたりするんですね。
やるぞうって言葉のゴロ合わせで、仕事やるゾウというのもあるし、またゾウサンって製造業にとって最高じゃないですか。減産(ゲンサン)じゃなくて増産(ゾウサン)。タイの方では神様(ヒンドゥー教の神”ガネーシャ”)でもあるし、いいことづくめじゃないですか。
プラスして、一つ一つの製品にも気持ちを入れて作りましょうということで、『一圧入魂』とキャッチコピーを作りました。
野球をずっとやっていたものですから、野球で『一球入魂』ってありますね。
それのプレス版ですね。
私は野球をずっとやっていて、野球ってチームワークだと思うんですよね。だからチームワークを大事にしようということで、企業も組織でやっているってことはチームですよね。社長が監督で専務がコーチ。あとは現場の打撃コーチ守備コーチがいて。というような形で、みんなで組織であって、一人ひとりでポジションがあって周りの状況を見つつ、一つの目標に向かってやっていこうと。
みなさんにたすけられてやっています。
苦労ではない。それが普通の生活だった。
- 森
18歳の時に就職が決まっていたのに、どうしてこちらに就職しようと思ったのですか?
社長にどのように言われたか覚えていますか?- 岩下専務
強制的ですよね(笑
よくは覚えていませんが、子供の頃から工場と呼べるほどのものではなかった小さな工場と、自宅はその隣りにあったから環境に慣れていたんですよね。
それが自然。その中での生活が当たり前だったんですね。
一応就職先は決まっていたんですが、社長である兄が始めるってことになったので、これは一緒にやりたいなとおもって始めました。
当時お世話になった先生にその話を言ったら、まあ分かったと。本来ならば決まった就職先を蹴るのは学校的にも良いことではないですよね。でもおまえがそういう気持ちであるなら、私が進路指導の先生を説得するから、お前は好きなようにやりなさいと言っていただいたのを覚えています。
- 森
18歳の時、就職が決まっていたのに、そこを辞めて兄の会社を手伝う。凄いことだと思いますが、ご家族の反対などは無かったんでしょうか。
- 岩下専務
社長が中2で、私が小5の時におふくろはなくなっちゃったんで。
昔のテレビ番組『目撃ドキュン!』の世界ですよね(笑
- 森
えー!!そうだったんですか!お母様も…
番組は懐かしいですが、凄い状況でしたね。- 岩下専務
おふくろが亡くなった後、こんどは父親が脳梗塞になり、兄弟二人ですけど、社長には世話になったし、なんとか一緒にやりたい、助けになりたいという思いがありました。
- 岩下社長
そんな生活だったので、ぼくは高3のとき生活保護を受けてたんです。
野球部特待生だったので学費は掛からなかったんですが。
そんなこともあり、全ての根底にあるのはなにくそ人生というかね。
まあそういったところがバネにあるから頑張ってこれたんですね。- 森
そのころの強い思いが『挑戦』という言葉にあるように、今に繋がっているんですね。
- 岩下専務
それしか知らないから。だから他の暖かい家庭だとかが知らないんですよ実際。
そういう中で育ってきたから。
買い物へ行くのも、休みの日にカートを2つ押して買いだめして、それから自分たちで料理して二人で食べたりしていました。
カートを2つ押して買い物しているでしょ。そうすると周りから何?合宿行くの?とか言われたこともありました。
普通押さないですもんね。カート2つ。(笑
- 岩下社長
よく、『苦労したからね-』『大変だったからねー』と親戚のおばさんとか素性を知っている方に言われるけど、それは苦労ではなくてそれが普通の生活だったんですよね。
それしか知らないから。
それが普通だったから別に大変ではないんです。逆に楽しかったっていうか。
遊び放題遊んでいましたからね。
親がいないから。止める親が(笑- 森
すごい経験をされておられるんですね。それでも今こうやって会社をやられているのが凄く感じます。
例えば、他のご家庭と比べると、そういう環境だとちょっと曲がっていったりとかあると思うのですが…
- 岩下専務
曲がりすぎてまっすぐになっちゃった(笑
- 岩下社長
一周してね。(笑
受け継がれていく意思
- 森
社長と専務は後を継ぐようにと言われる前にお父様がご病気になってしまいましたが、三代目である、修さんはそれを聞いてどうですか?
- 三代目
僕も言われることはないですけど、気づいたら意識していたというか。
僕は、自分で言うのもなんですが、ボンボンというか(一同笑、
他の同級生と比べると、良い暮らしをさせていもらっていたり、経験させてもらったということがあったので、僕もそういうふうになりたいとおもいました。
車だったら外車に乗りたいし。いい時計つけたいしという思いがあったので、二人に対しては失礼かもしれないですけれど、そこまでの近道はココなのかなというのがありました。- 森
ある状況を受け止めて、しかし悲観することもなく、自分の中に綺麗に落とし込んでいる様な社長や専務の背中を見て伝わっているのかなと思いますね。
他の会社様に伺うと跡取りがいない、自分の後に息子は別の仕事をしているからという問題をよく伺います。
三代目にお話を伺うと、同じ道を歩んでいけばもうちょっといい生活が出来るかもしれないという思いがあるからこの道を選んだというのは素晴らしいことですよね
社長や専務の姿勢や状況を見続けてきた結果なのかなと思います。
なかなかそういう意見って今の若い世代から聞こえてこないですよね。
普通でいいというか高望みはしないという意見ですからね。
- 岩下社長
私が思うのは私がはじめたときっていうのは完全に0またはマイナスからはじめたんですけど、今は決してマイナスではないと思うので。自分はゼロになってもいいやというかんじで始めたからプレッシャーというのはあまりなかったけど、三代目はプレッシャーを感じているのではないかという心配はありますね。
100%が当たり前の世界
- 森
今の仕事でのやりがいはどういったことだと思われますか?
- 岩下社長
形に残る仕事だというところ。モノを作っているから、自分たちの作った車のマフラーやグリルだったり自分が作ったモノが付いている車が走ってたりすると『おぉ!走ってる走ってるっ』てなります。そういうのも含めて形が残るっていうのが一番ですね。
逆にこの仕事って100%が当たり前で、0,01%でも間違っていると物凄く言われるんですよ。
例えば何十万個納品していた中で1個だけ間違ったものが入ってしまったりすると、大変なことになります。
私の妻は元看護師さんですが、患者さんが退院する時になると『大変お世話になりました!』と皆さん言ってくれますよね。『ありがとーねー』って。
私たち100%間違い無しで納期もきっちり守っていても何も感謝されないですから。
一回も言われたこと無いです。『急ぎで頼んですんませんねー。』くらいなものですよ。
100%が当たり前で、何十万分の1個が命取りになります。
もちろん自動車は人命を載せているわけですから当たり前なんですけど。
設計したところを忠実に再現するのがうちの仕事ですから。
それを+-0.1mm以内にズレをなくして創るのが難しいんですよ。
できそうに見えるでしょうけど、材料も柔らかさ硬さ薄さ厚さ、同じ型だからといって同じものができるかというと、出来ない。
- 森
厳しい世界ですね。
先程工場を見学させていただきましたが、皆さん職人さんの様な動きですね。
皆さん決まった同じ持ち場をやられているんですか?- 岩下専務
それが基本ですね。
みんなそれぞれ持ち場があって先程言った通り、人の変更も駄目なんですよ。
元請けさんに申請が必要になってくるので。
女性の繊細さでたもたれる品質
- 森
岩下社長からかなり信頼されているようですが社歴は長いんですか?
- 臼井さん
10年以上でしょうか。入社して産休し産後また戻ってきました。
- 岩下社長
出産を期に一時退職した後、子育てが一段落してまた戻ってきてくれるというのは、会社側の人間として凄くうれしいですね。
やっぱりあそこ嫌だなと思ったら絶対に戻らないと思うんですよね。戻っている方が何人かいるので、ありがたいなと思います。- 森
製造業、特に金属プレスというと、男臭い仕事なのかなと思っていたのですが、トライメイドさんは女性がたくさんいらっしゃいますね
- 岩下社長
女性の繊細さがうちの職場にぴったりなんですよ。その繊細さで品質が保てている。
やはり色々なところに目配り気配りが効きますよね。
プレスで機械使うというと、男!力仕事!3K!みたいな話になると思いますが、見てもらうとわかる通り、そうでもないんですよね。エアコンも聞いてますし、作業着も綺麗で、このままスーパーに買い物に行けるような。
ある意味ちょっとした男性よりも色々な仕事を間口広くやっていただいています。- 森
入ったきっかけは何気ない感じだったと思うんですけど、これだけ長く働いているということは何か楽しいことや、良い事があると思うんです。
- 臼井さん
作業自体が面白いと感じていました。
時間何分で何個出来たとか、目標決めてやるのが自分には向いているなと思いました。
- 森
各々で楽しみを見つけて仕事をしてらっしゃるんですね。
外部のスタッフ、いわゆる内職の方のとりまとめもされているということですが、今ご対応されている内職さんは何人ぐらいですか?- 臼井さん
30人くらいはいますかね。
私が仕事の指示を出すことがあるんですが、人相手だからなかなか大変です。
内職さんに材料をお渡しして、やっぱり出来なかったとかなると、じゃあ違う人に回さなきゃ!とか考えてしまって、最初は本当に大変でした。
今は上手く回せるようになりましたけど。
- 森
気苦労も多いんじゃないでしょうか。
- 臼井さん
そうですねー。仕事が多くなってきた時に、この人ならいけるかなとか、嫌だと言われそうだなとかありますけどね。
でもそんな中、結構年配の方もいるんですが、『仕事くれてありがとう』っておっしゃってくれる方もいらっしゃって。
それはうれしいですね。その一言で救われますね。嫌なことも全部チャラ。
私もそういう風に思わないと駄目だなとも思います。
仕事があるだけでありがたいという気持ち大事ですよね。
諦めたら終わり。だから挑戦し続ける。
- 森
岩下社長から番頭と呼ばれて絶大な信頼を得ている島田さんですが、まずは社歴と、どの様な仕事を担当されているかを教えていただけますか?
- 島田さん
20歳のときから働いていて、今19年目です。
担当はまあ、よろずやですね(笑- 森
一通りは何でもできるかんじですね!
先程現場を見せていただいたのですが、何人かでチームを組んでらっしゃると思うんですが、連動性が大事ですよね。
そういった管理もされるんでしょうか。
- 島田さん
そうですね。人によって早さとかレベルがあるので、遅い人を前に入れちゃうと遅くなるし、早すぎちゃうとモノが溜まってしまうし、仕事の内容によって向き不向きもありましすし、この人はココの仕事は得意だけど、こちらは苦手だとか。なれるまではできるだけ簡単な仕事をやってもらって徐々に慣れていってもらうようにしています。
- 森
凄く人を観察してらっしゃるんですね。
- 島田さん
いつもと音が違っていたりするとすぐ気が付きますね。本人は分かっていなかったりするのですが、いつもと違う音がでてると、製品がうまく出来ていなかったりするんです。
不備があるとか。
やっぱりそういうところにすぐ気が付けるようにしています。- 森
工場の音で気がつくんですか!すごいですね!
感覚が研ぎ澄まされているんですね。私が思っていた製造業のイメージとちょっと違いますね。
手先が器用だったりとかそういうイメージを持っていたんですが、集中力が大事なんですね。
魚釣りが趣味とおっしゃっていたんですが、通じるところはありそうですね。- 島田さん
渓流釣りは集中力が必要ですかね。川の流れに合わせて魚が食いつく目印の微妙な動きを見てやるので。
自分から10mぐらい先を目で追っていきますから。
- 森
感覚が大事なんですね。
仕事が仕事なので、集中して怪我をしないように集中力が必要なのかと思っていたんですが、ちょっと視点を変えると感覚を大事にして異変に気付くとか、マネージャーになってくるとそこが大事なんですね。
実際ものを作るのはプラモデルのような感覚だと思ったんですが、小さい頃から細かな作業が好きだったということはありますか?- 島田さん
あるとしてもせいぜいミニ四駆ですがかね。プラモデルが好きということはないですね。
というよりも釣り(笑
プラモデルは何が楽しいかわからないけど、うちで作っている部品が実際に動いている車なんかについているのを目にしたりすると、やっぱり達成感がありますよね。
- 森
形に残る仕事のいいところですよね。
社長が挑戦という言葉をおっしゃっていたのですが、島田さんも社長から言われてたり、自分からチャレンジしたことかありますか。
- 島田さん
自分ではなかなか行動には移せないですね。
社長からは常に無茶ぶりな挑戦はきますが(笑。
それに乗っかって挑戦しています。
いやになることも正直ありましたが、それでも冷静に考えればそれも仕事だし、諦めたら終わりというのもあって続けています。
言ったら、続けていくということも仕事をするうえでの挑戦なのかなと思います。
事業所紹介
インタビュアー
森 蓉子
令和2年4月より都賀町商工会に参りました。ヨモココを通じて都賀町の皆様からいろいろなお話を伺うことを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。